ももクロファン、モノクロデッサンの何がそんなに刺さってるの?
5/17(月・ももいろクローバーZさん結成13周年おめでとう)にデジタルリリースされた『ZZ's Ⅱ』、中でも最後に収録されている『モノクロデッサン』が最高だったので聞いてくれ。
モノクロデッサンは2016年にリリースされたももいろクローバーZの3rdアルバム『AMARANTHUS』に収録されている楽曲。
この曲はタイトルを聞いてわかる通り「モノクロでデッサンしたキャンバスに自分が出会った色を落として夢を描く」という歌だ。
色にまつわる曲であるため当然、歌い手であるももいろクローバーZの各メンバーの担当カラーに宛てられた歌詞が登場する。
そしてサビで歌われる
「どの色が欠けてもこの夢の続きは描けないから」
という詞がとても印象的だ。
これを聞いた時、かつての私達はももいろクローバーZの5人の絆と輝かしい未来に想いを馳せ酒を酌み交わし朝まで踊り明かしたものである。
この曲が再録されたことの話題性もファン達の感動もそこに尽きるのだ。
2018年1月に、我らがももいろクローバーZからはメンバーの有安杏果さんが卒業している。
その際、現行メンバーの4人は今まで5人で歌い分けていた歌詞からパートの振り直しをした。
そしてこの曲モノクロデッサン。彼女達のメンバーカラーに宛てて書かれた歌詞は赤・黄・ピンク・紫・緑の5色について歌うわけで……そう、難しいのだ。
卒業メンバーの担当カラーについて毎回歌う歌は鉛のように重い。ファンであればあるほど、本来のメッセージや詞の豊かさに辿り着く前に肩が凝って整体に行くことになる。
そんな私達の肩凝りを解決すべく(?)、この曲の作詞作曲をしてくれたC&KのCLIEVY先生が4人verの歌詞を書き下ろしてくださり今回のZZ'sⅡへの再録盤が出来上がったのだ。
C&Kが詞曲の提供してくれてるのがすごいしCLIEVY先生はあの『クローバーとダイヤモンド』を書いてくれてるのでももクロのファンはみんな頭が上がらない。私も今三点倒立しながらこの記事を書いている。
あの有名な『クローバーとダイヤモンド』はこちら
そのCLIEVY先生の新しい歌詞で、今の彼女達に宛てられたメッセージとして歌われている新録モノクロデッサンを聴いた。
各メンバーカラーに宛てられた歌詞は百田さん、玉井さん、あーりんさん、高城さんの4人向けのものに書き換えられている。
そして私達がかつて5人のももクロに重ねて胸を熱くした前述の歌詞
「どの色が欠けてもこの夢の続きは描けないから」
この詞は新録版では
「どの色が欠けてもこの夢の続き描けてないから」
と歌われていた。
私「あーーーーCLIEVY先生なんと綺麗な日本語回しだーーーありがとうございます」
「どの色が欠けてもこの夢の続きは描けない」
5人当時に書かれたこの詞は
「5人の誰がいなくなってもいけない、この5人だからももいろクローバーZなのだ」
という意味を持っていた。少なくとも私達ファンの中では。
そして有安さんがグループを卒業したことで、私達はこの詞から最初に解釈したメッセージが破綻してしまったように感じてしまっていたわけだ。
でも実際は違う。
「どの色が欠けてもこの夢の続きは描けてない」
わざわざ歌い直してくれたこの詞は
グループから欠ける、という活動人数スケールの話ではなく、
「有安さんがいたことも、早見さんがいたことも、今に辿り着くのに必要なことだった。かつて彼女達がいたから今がある」
と伝えてくれてるのだ。
「僕らは人生(パレット)の上で色んな色と出会いながら 真っ白な人生(パレット)を埋め尽くしてく」
これもサビの歌詞。
(誤解されていたらめちゃくちゃ恥ずかしいので一応書くけど「人生(パレット)」は私の解釈ではなくオフィシャルの振り仮名。作詞家以外でこの括弧つけてる人がいたら距離をとりましょうポエマーです)
有安さんや早見さんが自身のアイドル生命を全うしてくれたから今がある。彼女達との出会いも、共にした歩みも、別れや、その悲しさも、全てが出会った色として、真っ白なパレットを埋め尽くしていく。全てがあって今があるわけだ。
そんなことはファン達も今の彼女達ももいろクローバーZを見ていればわかっていたことだ。
彼女達の今があるのは間違いなく早見さんがいたからであり、いないからであり、有安さんがいたからであり、いないからである。
わかっていたはず、それでも、それをちゃんと歌ってくれたことが嬉しいのだ。
これは他のももクロ楽曲にも共通するのだけど、彼女達の歌には、「ファンの彼女達への願いや想い」が歌われているものが数多くあり、ももクロファンはそんな曲やメッセージに出会った時に心が救われるような体験をする。
だから私達はこの新しいモノクロデッサンを聴いて歌うし踊るし泣くし笑うし早くライブで演ってほしいし玉井詩織さんに体調不良と不安と不自由を与えたコロナを許さない。
あと私が個人的にこの曲の詞で"粋"だと思うのが、人生と書いて「キャンバス」ではなく「パレット」と読んでいるところなのだけど伝わるだろうか。
「人生はキャンバス、自分なりの色に染めていくものだよ」
くらいの詞だったらルノアールで情報商材を勧める人の口から聞くことがありそうなものだけど、
「人生はパレット、出会った色がそこに落ちていくからその色を使って夢を描くんだ」
と歌うのがめちゃくちゃにオシャレだ。
直接歌われてこそないけど、キャンバスには「未来」が当て書きされているのだ。
そして、出会った色が蓄積された人生(パレット)からモノクロデッサンされた未来(キャンバス)にどんな夢を描くのかが、あくまで『自分次第』だからこそ「どの色が欠けてもこの夢の続きは描けてない」という詞に「私達の進む道に、あなた達はあの頃も今も欠かせない存在だ」という意味が強く、真っ直ぐ通じるのだ。
そしてこの歌は私達ファンの人生にも同じメッセージをくれている。
2度と見られない5人時代や6人時代(エア古参)の思い出も、私達のパレットに欠かせない色として残るのだ。そもそもライブなんて全てが2度と見られない思い出だ。私達はその全部をパレットに落としていくのだ。
緑を歌わなくなったこの曲を聴いた時の、片付いた部屋を眺めた時のような寂しさも、私はパレットに落として生きていく。
そしてキャンバスに歪なアウトプットをし続けるのだ。
それでは聴いてください
『モノクロデッサン ZZver』
後半ポエマーになってるな……